バブル時代!消費者金融は全盛期だった!?

2016年11月18日

バブル時代!消費者金融は全盛期だった!?

バブル時代といえば、信用創造が急激に膨らんだ時代です。そのため、様々な金融機関の貸し出しは増えていきました。という事は、消費者金融もその頃が全盛期だったのでは無いでしょうか? この記事では、バブル時代について解説を行い、その頃の消費者金融の動向について書いて行きます。

目次

バブルとは?

バブルとは、経済が実体に伴わず、過度に膨らんだ状態の事を言います。
日本は、1980年代から1990年代初頭までがバブル時代と呼ばれています。たまに「バブルの頃は良かったなー、、」と耳にする事があると思われますが、それはバブル時代の事を指しています。

この当時の日本は、株価や土地などの価格が過度に上昇しており、東京23区内の土地価格を合わせると、アメリカ全土の土地が買えるという試算が出るほどでした。
バブルがどのように起きるかは、世界最古のバブルと呼ばれる例を見れば、理解できます。

世界で初めてのバブルが起きたのは、チューリップが原因だった!?

世界で初めてのバブル経済は、チューリップによって引き起こされたと言われています。このバブルはチューリップバブルと呼ばれ、1630年頃にオランダで起きたとされています。
今では、チューリップと言えばオランダというような認識が日本中に広まっていますが、この当時のオランダでは、チューリップはオスマン帝国(現在のトルコ)からの輸入品で、まだ珍しいものでした。

チューリップは富裕層の趣味だった

チューリップは見た目が美しく、また花が咲くまではどの様な模様になるかは分からなかったため、富裕層の間ではその美しさを競い合う事が流行になっていきました。それに伴い、球根の需要も高まっていき、価格は上がり続けます。

一般庶民の間でも投機目的で取引された

富裕層は美しいチューリップであれば高値で買うため、チューリップの売買によって一角千金を狙う人が現れました。その流れが加速するに連れて、これまで興味のなかった一般庶民の間でも、チューリップ売買に手を出し始める人が続出しました。そのためチューリップの価格はさらに上がり、1本のチューリップの価格は家が買える程だったとも言われています。

一気に買い手がいなくなった

右から左へと売られていたチューリップは、富裕層の間での流行も終わった事により、急に買い手がつかなくなりました。そうなるとチューリップの価格は一気に急落しました。
投機目的で、借金をしてまでチューリップを買っていた人達には、借金とチューリップだけが残りました。

バブルは行き過ぎた信用から始まり、不信感で一気に終わる

チューリップバブルの流れから分かるように「チューリップの価格は今後も上がっていくだろう」という信用から、バブルが起きています。そして「今買っても、今後は買い手がつかなくなるかも」という不信感から、バブルは終わっています。そのため、バブルとは行き過ぎた信用とも言えます。

日本で経済バブルが起きたきっかけ

アメリカとの貿易摩擦

1980年代前半、アメリカはドル高による多額の貿易赤字に悩まされていました。ドル高ということは、アメリカ国内の製品は売れにくく、逆にアメリカ国外の製品が安く手に入るということであり、貿易は赤字続きでした。また、そのせいでアメリカ国内の商品はほとんど売れなくなり、アメリカ国内の労働者たちによるデモが頻繁に起きていました。

プラザ合意によって円高に

1985年の9月22日、ニューヨークにあるプラザホテルで、日本・アメリカ・西ドイツ・イギリス・フランス5ヵ国の中央銀行総裁などが集まり、為替レート安定のために話し合いました。
これが俗にいう「プラザ合意」で、5ヵ国がドル高是正のための協調介入を行う事で合意しました。
プラザ合意によって、1ドル=240円程度だったレートが、翌年の1986年には1ドル=150円前後にまで下がりました。ですが急な円高によって、今度は日本の企業が悪影響を受けました。

ここからバブルが起きていった

ここからバブルが起きていった

日銀による金融緩和が行われる

円高による悪影響を受け、日銀は公定歩合の引き下げを行い、それによって5%だった公定歩合は2.5%まで下がりました。公定歩合が2.5%になるという事は、企業がお金を借りやすくなるという事になります。

ですが、この頃の企業は新規発行株によって、資金調達を行うことが一般的になっていたため、企業への貸し付けはあまり増えなかったようです。そのため、金融機関のお金は不動産に向かうようになり、不動産業界が活性化しました。

財テクブーム

公定歩合の引き下げにより、銀行にお金を預けるよりも、株や不動産で利益を出した方が儲かるという風潮が社会全体に広まり、財テクブームが起きました。財テクブームによって株価や不動産は軒並み上昇したため、その土地を担保に銀行は融資を増加させていきました。また、銀行も株を購入するなどしていました。

日経平均が約3倍、地価も約4倍に増えた

財テクブームにより、日経平均は約3倍の38,915円の値をつけ、最高値を付けました。また、地価も約4倍にも膨れ上がりました。そのため、サラリーマンの年収では家を買うことが出来ないほど、住宅価格は上昇していきました。

バブルの崩壊

バブル経済によって好景気を迎えていた日本でしたが、すでに実体経済とは大きく乖離した資産総額となっていたため、いつ崩壊してもおかしくない状況になっていました。

公定歩合の引き上げ

1989年になると、日銀は行き過ぎた市場を抑えるために、公定歩合の引き上げ(金融引き締め)を5回に分けて行いました。公定歩合を引き上げる事によって貸し付けをしにくくしようとしましたが、すぐに効果が出たわけではありませんでした。

総量規制の開始

1990年になると、大蔵省から金融機関に対して総量規制の通達(行政指導)が行われました。この総量規制は「不動産への貸し付けを減らしなさい」というような内容で、その通知によって日本各地で融資の打ち切りが行われました。

株価の暴落

1989年の12月29日に最高値38,915円を付けた日経平均ですが、それからは暴落し始め、1990年の10月には20,000円を割り込み、そこからは下落の一途を辿りました。

バブル崩壊による影響

自己破産件数が約2倍に

バブル崩壊が始まった翌年の1991年、借金をしてまで不動産や株を買っていた人たちが、借金の返済ができなくなり、自己破産に陥る事が多くなっていました。そのため、1990年までは1万件程度だった自己破産件数が、1991年には2万件以上と約2倍に増えました。

倒産する企業が増加

銀行の貸し剥がしによって、企業はそれまで貯め込んだ資産の売却を行いました。ですが、二束三文にしかならないものもあり、結局は借金の返済が行えなくなり倒産する企業が相次ぎました。

金融機関の破綻

潰れたのは企業だけではありませんでした。政府の手助けにより不良債権の処理に追われていた銀行でしたが、政府の方針転換により、経営状況の悪い銀行の破綻が相次ぎました。
4大証券会社の1つであった山一證券は、日本最大の負債総額3兆5000億円というとんでもない数字を残して倒産しました。

失業者の増加

バブル期には、どこの企業も人材確保のために必死でした。そのため、完全に労働者が仕事を選ぶ時代で、バブル期はフリーターの全盛期でもありました。ですがバブル崩壊に伴い、定職についていないフリーターはほぼ失業、正社員でさえも企業の経営悪化で失業する人が増加しました。

バブル時代の消費者金融は、意外にも冬の時代!?

バブル時代の消費者金融は、意外にも冬の時代!?

バブル時代と呼ばれる1980年代、意外にもこの頃の消費者金融を含む貸金業界は、冬の時代と言われていました。

発端は1970年代

当時の消費者金融は、サラリーマン金融を略して「サラ金」と呼ばれていました。当時、高度経済的成長期を経て安定期に入っていた日本では、サラ金のニーズが高まる一方、一部の悪徳業者による高金利な貸し付けや、今では考えられないほどの厳しい取り立てが行われていました。1970年代の後半に入ると、その事が少しずつ表面化し始めメディアに取り上げられた事で、大きな社会問題へと発展します。

日本信用情報機構の前身ができたのもこの頃

1970年代は、現在ほぼすべての消費者金融が加盟している、日本信用情報機構の前身が創られた年代でもありました。当時の信用情報機関は、現在のように3つではなく、いくつもの個人信用情報機関が全国にありました。1976年に、数ある内の10の信用情報機関が集まり、現在の日本信用情報機構の前身である「全国信用情報交換連絡協議会」が設立されました。

多くの貸金業者が消えた1980年代

サラ金が大きな社会問題に発展した事によって、国会でも議論がなされるようになり、1983年5月に「貸金業法」と「改正出資法」が制定されました。恐ろしい話ですが、1970年代の出資法で定められた上限金利は年109.5%となっており、改正出資法により1983年11月に年73.0%に引き下げられました。また、貸金業法が制定された事によって、国内に23万社近くあった貸金業者は、倒産や事業撤退が相次ぎ、翌年の1984年には約3万社に減ったと言われています。
そのため、バブル時代と呼ばれる1980年代は、消費者金融にとっては冬の時代と言われています。

バブル時代のカードローンの上限金利は現在の5倍以上!?

バブル時代と呼ばれる1980年代初頭、当時出資法で定められたカードローンの上限金利は、現在の5倍以上にもなる年109.5%という、とてつもないものでした。例えば、年109.5%で100万円を借りた場合、たった1年で約109万円もの利息が発生してしまうという事になります。
1983年の11月からは、出資法の上限金利引き下げが行われましたが、それでも年73.0%という高金利なものでした。また、1986年11月には年54.5%、1991年11月には年40.004%まで引き下げが行われましたが、それでも現在の約2倍もの上限金利となっていました。

バブル崩壊によって復活した消費者金融業界

バブル崩壊が始まったとされる1991年からは、景気後退に伴い企業の倒産や金融機関の破綻も多くなりました。ですが、バブル崩壊によって消費者金融業界は復活するという現象が起きました。

バブル崩壊の影響が少なかった

バブル崩壊に伴い、様々な金融機関が不良債権の処理に追われる中、消費者金融業界は貸し出しを増やしていました。その理由は、多くの金融機関は不動産関連の融資を行っていたため、バブル崩壊の影響を受けましたが、消費者金融は個人への貸し出しに特化しており、その影響が少なかったからと言われています。また、バブル崩壊によって家計の苦しい人が増加した事も要因とされています。

無人契約機やCMによってさらに利用者は増加

1993年になると、無人契約機が初めて導入されました。無人契約機は、誰とも対面すること無く契約が行えるため、それまで利用をためらっていた人も取り込み、利用者数も増加していきました。
また、消費者金融業界はこれまでのイメージを払拭するために、CMなどの宣伝にも力を入れたため、さらに利用者は増加しました。

株式上場する消費者金融も出た

バブル時代に経営基盤の強化を行なってきた消費者金融の中には、株式上場を行う会社も出てきました。株式に上場するということは、経営の透明化を図るということであり、これによって消費者金融はさらにイメージアップをしていきました。

また冬の時代が到来

冬の時代と呼ばれる期間を乗り越えた消費者金融ですが、復活を果たした後も規制や過払い金請求など様々な問題が発生してしまい、また冬の時代と呼ばれる時期が来ます。その際には倒産する大手消費者金融も出た程です。そのため現在では、多くの大手消費者金融が銀行などの傘下に入っています。

金貸しの起源から現代の消費者金融までの歴史を辿る

まとめ

・バブルとは、実体経済に伴わず過度に経済が膨らんだ状態の事を言う
・世界最古のバブルはチューリップによるものだった
・日本のバブルが起きるきっかけは、プラザ合意だったと言われている
・バブルが起きた要因は、金融緩和と財テクブームが主だったと言われている
・金融引締めや総量規制などによって、バブルが一気に崩壊した
・バブル崩壊によって、自己破産、企業倒産、銀行破綻が相次いだ
・バブル時代の消費者金融は、冬の時代を迎えていた
・消費者金融はバブル崩壊を機に復活した

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