金貸しの起源から現代の消費者金融までの歴史を辿る

2016年11月9日

金貸しの起源から現代の消費者金融までの歴史を辿る

金貸しは世界最古の職業とも言われており、金貸しが現代の金融業の始まりとも言われています。 この記事では「金貸しとは?」から始まり、その起源や歴史について大まかにたどっていきます。

目次

金貸しとは?

金貸しとは、通貨を必要としている人へ利子や手数料を付けて、お金を貸し出す行為を行う業者の事を言います。現代で言うと、銀行や消費者金融、信販会社などがそれにあたります。

金貸しの仕組み

金貸しの仕組みとして、例を上げると自己資本金として500万円を持っていたとします。そこでお金を借りたい人に500万円を年利10.0%で貸出します。そうすると単純計算で1年で50万円の利益が金貸しに発生します。

また、そこで発生した利益の50万円を貸し出すとさらに利益が増えていきます。この例ではコストなどは省いていますが、金貸しはこのようにして利益を上げています。

銀行は預金者のお金も使って貸出しを行う

現代の日本で、銀行口座を持っていないという人はほとんどいないと思います。また、仕事で得た給与は銀行口座への振り込みという場合がほとんどでしょう。それほど預金口座は一般的になっています。銀行は、預金口座に入っているお金の貸し付けを行う事が法律によって認められており、貸し付けを行うことが可能となっています。

金貸しのリスク

金貸しの最大のリスクは、貸したお金が返って来ない事です。もし、貸したお金が返って来ない場合、金貸しは新たにお金を貸し出す事ができなくなるため廃業に追い込まれる場合もあります。そのため、金貸しは金利を上げたり、貸出す為の審査基準を上げリスク回避を行おうとします。

金貸しの歴史

金貸しの歴史は古く、お金が誕生した頃と同時期に金貸しも誕生したと言われています。お金はもともと物々交換の不便を補うためにできたものですが、その中でもお金の余る人と必要な人が出てきたため需要と供給の関係が生まれ、自然と金貸しが誕生したと言われています。


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キリスト教・イスラム教では、金貸しは嫌われていた?

キリスト教やイスラム教などの聖書では「利息を取ってはならない」というような解釈の教えがあります。そのため、古代のキリスト教やイスラム教圏の国々では金貸しという存在は嫌われていたようで、実際に利息をとる金貸しをすべて禁じる国もありました。

嫌われていたが利用されていた

聖書などの教えで、倫理的に良くないという解釈が行われていた金貸しですが、昔の人もお金の誘惑には勝てなかったようで、金貸しがなくなる事はありませんでした。そのため、利息の事を謝礼という解釈に変えてお金を借りる貴族などもいたようです。

金貸しも自然と容認されていった

利息を取る事は良くないとは言っても、金貸しなどが存在する事によって資金の流動性が高まり、交易などの経済発展を早めるという事実がありました。そのため、キリスト教などは利息を取ることを自然と容認していきました。

そして、産業革命が起こると資本主義が台頭したため、これまでよりもさらにお金の需要は高まり、それに伴って金貸しに対する倫理観も大きく変化したと言われています。

金貸しではユダヤ人が有名

古来から、ユダヤ教の教えでも同胞への金貸しでは利息を取ってはいけないという決まりがあったようです。ですが、他の宗教徒からは利息をとっても良いという事になっていたようで、そのため古代では多くのユダヤ人が金貸しを行なっていたと言われています。

日本の金貸しの歴史

日本の金貸しの歴史

日本の金貸しの始まりは僧侶?

日本で貨幣が浸透したのは平安時代末期と言われています。そして、その時代の僧侶などが無担保で利息を取って、金貸しを行なったのが日本の金貸しの始まりではないかと言われています

担保を取る金貸しは土倉と呼ばれた

鎌倉時代から室町時代にかけて誕生した土倉は、担保を取る金貸しが担保品を保管するために土倉を立てたことから、そう呼ばれるようになったと言われています。また、災害などに備えて土倉を持つ商人に、貴重な財産を預けるという事が公家や庶民にまで広がり、商人がその預かった財産を元手に金貸しを行なった事が土倉の始まりとも言われています。

日銭屋と呼ばれる金貸しも誕生した

室町時代には、土倉の他にも日銭屋と呼ばれる金貸しが誕生しました。日銭屋は日歩で利息をとる貸金業者の事をいいます。日歩は、1日ごとに発生する利息を表す短期の利率の事を言います。

江戸時代には様々な金貸しが存在した

江戸時代になると、質屋、両替商、日銭貸し、鳥金などの様々な金貸しが存在していました。

質屋

質屋は現代にもあるものと同じで、担保となる物を質屋に預け、お金を借りるところです。もし、貸したお金が返ってこなかった場合には、担保は質屋に所有権が移ります。

質屋が担保によってお金を貸せる理由は、インフレによって物の価値が上がるため返済がなかったとしても、その担保を売ることで利益を得ることができたためです。現代ではモノがあふれる時代になったため物の価値が上がりづらくなり、質屋の数も激減しました。

両替商

江戸時代の両替商は、小判や丁銀などの貨幣を交換する際に手数料を取って利益を得ていました。両替商は、その他にも預金や貸し付けなども行うようになり、明治時代に入ると両替商から銀行として業務を行う所もあったようです。

日銭貸し

日銭貸しは日銭屋のような金貸しで、お金を借りた翌日には返すというような短期の金貸しを行う業者の事を言います。100文借りたら翌日には101文にして返す(年利にすると300%超え)というかなりの高利貸しだったようです。

烏金

鳥金も日銭貸し同様に、短期の貸し付けだったようですが、鳥金は主に賭け事のためや夜の遊興費として貸出しを行なっていたようです。鳥金は日銭貸しよりもさらに暴利で、年利にして1,000%以上になることもあったと言われています。

消費者金融の歴史

消費者金融の歴史

消費者金融の始まり

消費者金融の始まりは1950年代と言われています。1950年以前は太平洋戦争により、ほとんどの資金は産業の復興に使われていた為、個人への融資はほとんど行われていなかったと言われています。ですが、1950年以降になると信用金庫などの金融機関が消費者への融資を始めた事で、その他の金融機関も消費者金融に参入し始めた事が、消費者金融の始まりと言われています。

1950年以前は質屋が個人のための金貸しだった

質屋は、江戸時代頃から庶民のための金貸しとして存在していました。ですが、経済安定期に入ると担保である物の価値が落ちたため、廃業に追い込まれる質屋も多くありました。
現在の大手消費者金融業者であるアコムは、創業時は呉服業を営んでいましたが、呉服業から質屋に転身を行った後、1950年頃に消費者金融に転身をしています。

1960年代には団地金融なる業者がいた事も

1960年代になると、団地金融と呼ばれる無担保の金貸しが誕生しました。団地金融は文字通り団地を回る金融業者です。1960年代の団地は一定のステータスのある人が住む所だったため、団地金融業者は優良顧客をつかみやすかったと言われています。

高度経済成長期に消費者金融が台頭

高度経済成長期では個人消費の増加に伴って、無担保で借り入れが行える消費者金融の利用者も増加しました。高度経済成長では、自分の収入以上のお金を借りても所得が上がり、お金を返せる意識が浸透していたため、無理な借り入れを行うことが多くあったようです。

高度経済成長期の上限金利は109.3%

高度経済成長期と呼ばれる1955年から1973年頃の出資法で定められた上限金利は、なんと109.3%もの高金利でした。現在の出資法で定められている上限金利は20.0%となっているため、かなりの高金利だった事が伺えます。

1970年代にはサラ金が社会問題に

高度経済成長期には、消費者金融と言えばサラリーマンが利用するというイメージが浸透したため「サラ金」と呼ばれるようになっていました。1970年代には日本の高度経済成長も減速してきたため、思っていたよりも収入が伸びにくくなり、サラ金から借り入れたお金の返済ができない人が急増しました。

当時は法整備などが未熟だったため、取り立ても厳しくなりやすかったと言われています。そのことが原因で自殺に追い込まれる人が増加したため、メデイアに取り上げられた結果、サラ金が社会的問題になりました。

サラ金問題により貸金業規制法が制定された

サラ金が社会問題になると、国会でも議論が行われるようになりその対策として、1983年に貸金業規制法が制定されました。貸金業規制法は、貸金業を営む業者を登録制にし、適正な業務を行うように規制を設ける法律です。

出資法の改正も行われた

貸金業規制法が制定された1983年には、出資法の改正も行われました。改正によって、改正前には109.5%であった上限金利が、改正後には73%へ引き下げられました。また、さらに3年後の1986年には上限金利が54.4%へと引き下げられました。

1990年代に再び利用者が増加

1990年代に入ると、一旦は落ち着いていた消費者金融の利用者が増加しました。その理由は、バブル崩壊によって経済的に苦しい家庭が増加した事が一因と言われています。また、無人契約機の登場やCMなどによる消費者金融のイメージ転換の影響もあったとも言われています。

2000年頃に事故情報の共有が開始される

2000年頃には、貸し倒れを防ぐために国内に3つある信用情報機関の「日本信用情報機構」「全国銀行個人信用情報センター」「シー・アイ・シー」で、情報ネットワークであるCRINが開始されました。そのため、現在ではCRINによってそれぞれの信用情報機関に登録されている事故情報の共有が行われています。

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信用情報機関はどんな情報があるのか?また情報開示についても解説

2006年グレーゾーン金利が話題に

グレーゾーン金利は出資法(当時の上限金利29.2%)と利息制限法の上限金利の違いによる、金利差の事を言います。そのグレーゾーン金利がなぜ話題になったかというと、2006年に行われた裁判によって、グレーゾーン金利で発生した利息分は無効とする判決が出たためです。

また、出資法の改正が行われ上限金利が利息制限法と同水準になりました。この事によって、グレーゾーン金利で発生した利息分は過払い金請求を行うことによって、債務者が取り返すことができるようになりました。グレーゾーン金利で貸し付けを行っていた消費者金融の中には、資金繰りの悪化により倒産する会社も出たほどです。

過払金請求やグレーゾーン金利について詳しく知りたい方はコチラ
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まとめ

・金貸しとは、通貨を必要としている人へ利子や手数料を付けて貸し出す行為を行う業者の事を言う
・金貸しが誕生したのは、お金が誕生した頃と言われている
・日本で初めて金貸しを始めたのは僧侶と言われている
・江戸時代の両替商が今の銀行の前身と言われている
・消費者金融の始まりは、1950年代と言われている
・様々な紆余曲折があり今の消費者金融がある

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